荒川区議会 2022-11-01 11月25日-02号
平成二十七年度に創設した中学校防災部では、地域の防災・減災活動に貢献できる防災ジュニアリーダーを目指し、岩手県釜石市への被災地訪問や年二回の防災会議を開催するほか、地域の町会や消防団が行う避難所開設・運営訓練に参加するなど、防災に関する知識の習得や技術の向上に日々努めてございます。
平成二十七年度に創設した中学校防災部では、地域の防災・減災活動に貢献できる防災ジュニアリーダーを目指し、岩手県釜石市への被災地訪問や年二回の防災会議を開催するほか、地域の町会や消防団が行う避難所開設・運営訓練に参加するなど、防災に関する知識の習得や技術の向上に日々努めてございます。
岩手県釜石市の鵜住居地区の学校にいた約600人の児童・生徒が、防災訓練と避難所訓練の経験を生かし、高台に走り命を守りました。釜石市の津波到達地点には津波記憶石が置かれていまして、そこに刻まれている字が、「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて」と呼びかけています。
岩手県釜石市へがれき撤去のボランティアに伺った際のあの壮絶な状況は今も目に焼き付いています。 ライフワークとして、災害に強いまちづくりをしっかり推進していく上で、先ほどもお伝えしましたが、都や国といった関係機関との連携は欠かせません。
ちょっとこれは、要するに避難していただく際に、高齢者や小さいお子さんを緊急でやはり避難していただかなければいけないようなときもありますし、若い方、また、中高生の皆さんが本当に避難者のリーダーとなってやっていただくような釜石市の例もありますので、こういう備蓄、資器材をしっかりそろえていただきたいというのは要望させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
◎河井 防災支援担当課長 東京大学大学院の片田敏孝先生は、釜石の奇跡と言うと、皆さんイメージされるかと思いますが、東日本大震災のときに釜石市の小・中学校の児童・生徒が平素の避難の三原則ということを徹底して教えておいたおかげで、ほぼ全員が無事に避難したという実績をお持ちの方でございまして、災害情報伝達ですとか、防災教育、そういったことに精通されている方でございます。
大会中には台風19号の影響により、10月13日に岩手県釜石市で予定していたラグビーワールドカップ1次リーグのナミビア対カナダ戦が、13日午前中にかけて、東北エリアでの暴風と大雨が懸念され、観客や選手、スタッフ、ボランティアなどの安全を確保することが難しいと判断し、大会組織委員会は試合を中止にしました。 東日本大震災の復興のシンボルである釜石鵜住居復興スタジアムで開催の予定でした。
八年前の二〇一一年三月十一日、東日本大震災、岩手県釜石市は津波による甚大な被害に遭いました。そんな中、市内の小中学校において、八年間重ねてきた防災教育や避難訓練、そして、津波が来たらてんでんばらばらになって逃げ延びるという津波てんでんこの教えが実を結び、全児童生徒の九九・八%の子どもたちが生き延びることができた、まさに奇跡とも言うべき事例があります。これは釜石の奇跡と呼ばれています。
日本代表チームの躍進はもとより、台風十九号が襲った岩手県釜石市での、カナダ代表選手による泥まみれになってのボランティア、岩手県宮古市での、ナミビア代表選手の「地元の人を勇気づけたい」という思いによる交流イベント、ニュージーランド代表選手から始まった日本式のおじぎによる観客への感謝、心をこめて相手チームの国歌を歌うファンの姿、そして自己犠牲やノーサイドの精神の美しさに、心を動かされた方も多かったことと
東日本大震災でも、過去の津波被害の教訓に基づき、子どもたちが地域のお年寄りたちの手を取って高台に率先避難した岩手県釜石市の小中学生の姿が話題になったことは御存じだと思います。 こうした事例に共通するのは、日ごろから地域社会のコミュニケーションが活発で、住民同士の信頼関係が構築されている点であります。
岩手県につきましては宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市の6市町から避難されている方のうち、特定の事情がある方に限定し、供与期間を10年間に延長することとしました。 宮城県につきましても、石巻市、気仙沼市、名取市、東松島市、女川町の5市町から避難されている方のうち、特定の要件に該当する者に限定し、供与期間を10年間に延長するとしました。
それから、4ページのところですけれども、体力向上のところなのですが、このこども文教委員会で秋田、岩手に行って、岩手県、昨日、釜石市でラグビー、本当ちょっと涙が出ましたけれど。岩手県の体力向上についても、スーパーキッズということで話を聞いてきました。
今後、国内12の都市・会場で予定されていますが、中でも東日本大震災の被災地からは、唯一、岩手県釜石市が含まれています。津波で被災した小・中学校の跡地に建設した釜石鵜住居復興スタジアムをはじめ、復興した姿や世界中から受けた支援への感謝の気持ちを発信したいとの意向と聞いております。
この8月後半、議会での視察で東日本大震災で被災された釜石市や大槌町を訪れました。震災から8年以上が経過し、復興に向けて一歩一歩着実に進んでいる姿を目の当たりにしたところです。自分の町、人々をいかに守っていくか、改めて考えさせられました。それを思い、今回、本区の防災対策について伺います。 初めに、区民一人一人が考え行動できる防災について伺います。
東日本大震災のとき、子どもたちの生存率が99.8%と言われた釜石の奇跡について、あれは奇跡ではなく、防災教育の結果ですと言われる釜石市防災職員の言葉は有名です。群馬大学大学院の片田教授のもと、釜石市が防災教育を始めたのは平成18年。当初、津波に対し、人々の反応はギネスブックに載っている世界一の防潮堤があるから大丈夫と、避難指示が出ても逃げることはありませんでした。
東日本大震災の被害を受けた岩手県釜石市の、小中学生の生存率は99.8%でした。日ごろから行っていた、「君たちは守られる側ではなく守る側。自分より弱い立場にある子や高齢者を連れて逃げるんだ」という教えを子どもたちが守り、実践したため、子どもたちが地域の率先避難者となることができました。
地域活性化策として自治体が支援するものも増えており、釜石市では市職員らで構成する実行委員会が2012年から毎年街コンを実施しており、沿岸を走る三陸鉄道の車両を貸切ったり仮設商店街の飲食店をはしごしたりと、企画内容を変え現在も継続的に実施されております。
◆広川 委員 防災意識の高揚は、継続的に行うとともに、子どものころから醸成していくことが、いざというときの大きな力となることは、「釜石の奇跡」と言われた岩手県釜石市の防災教育に象徴されます。 また、防災教育は、教育機関だけに委ねるのではなく、家庭や地域で培われていくことも大切です。葛飾区では、防災学習用アプリ「天サイ!まなぶくん」を開発、配信しています。
被災した学校施設の新校舎移転までの経緯経過、被災当時の避難状況、地域に開かれた施設としての機能、災害時の避難拠点としての機能、防災教育についてなどを調査目的とし、陸前高田市の高田東中学校、大船渡市の越喜来小学校、釜石市の鵜住居幼稚園・小学校、釜石東中学校、大槌町の大槌高等学校、小中一貫校の大槌学園などに伺いました。
子どもたちの防災教育と言えば、真っ先に岩手県釜石市の取組みを思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。あの二〇一一年三月の痛ましい東日本大震災の状況下の中、事前に子どもたちが高台に向けて何度も避難訓練を繰り返し、震災当日も混乱することなく忠実に高台避難を遂行し、結果、奇跡的に多くの子どもたちの命が守られ、後に「釜石の奇跡」と言われました。
東日本大震災における大津波から生き抜いた釜石市の生徒は、想定にとらわれ過ぎる日本の防災とは異なる行動をしていました。彼らが実践した避難姿勢というものは、「想定にとらわれるな」、「その状況下において最善を尽くせ」、「率先避難者たれ」というものでした。